“自分自身を生きれて来れなかった”あなたへ「本当のあなたってどんな人? 何が好きで、何が嫌い? そして真に望むモノは何?」

生きづらい、自分の価値がわからない、虚しい、孤独、消えたい…居場所がない、アダルトチルドレン … 独りで そんな想いを抱えてませんか。 わたしと一緒に あなたの潜在意識の底の”本来の あなた”に逢いに行きましょう。 あなたの真の願いに触れる為に。 そして あなた自身に戻る為に。

劇薬の言い聞かせ(アファメーションまたは魔法の言葉的なモノ)に ご注意

自己啓発セミナーや心理系セミナー

自分磨きなどで、アファメーション

 

 

迷惑かけて いい

とか

 

思うがまま、やってみろ

とか

 

もう努力しなくていい

頑張らなくていい

 

わたしは可能性に満ち溢れた

愛されて当然の存在

 

居るだけでいい

 

わたしは無条件で素晴らしい

 

 

とか、あるようです。

 

 

 

これらはとらえ方によっては

間違えではないと思います。

 

 

この記事の続きはこちらで・・・

arata-stand-by-you.com

 

自己肯定感の物語 ”ただ、ただ、あの人の笑顔が見たいから”

前にグレーテルのかまどというスイーツを物語と共に

とりあげる番組でそのお菓子は見たことがありました。

 

なんて綺麗なんだろう…

 

思わずそう呟いてしまうような美しさと

澄んだ透明感。

 

そのお菓子は琥珀糖。

最近はまるで食べる宝石のような仕上がりに出来るので

家庭でも手作りする人もいらっしゃるようです。

検索すると出てくるそれはそれで綺麗なんだけど、

その人の作るそれは全く違う。

電気の明かりと、太陽の光のような、差、がありました。

 

その人の琥珀糖からは澄んだ音色が聞こえてくるような

その音は宮沢賢治の物語に出てくるような擬音で。

自ら発光するような煌めきの中に、

また水のしなやかさも感じられる、

それはそれは美しいお菓子で、忘れられなくて、

そしたらふと違う番組でそのパティシエさんがいて、

これは見なくては、と。

良かったです、本当に。

これが自分を生きている人なんだ、と

だからあんなに美しい物が生まれるんだ、と。

 

美しいってわたしの言う綺麗さって言うのは

なんというのですかね、華美というより

バランスが取れていて(華美でもバランスと

真心が入っていたらそれはそれで美しいです)

つまりは中身のないゴージャスさではないんです。

 

ではその金蔵さんの物語をシェアしようと思います。

 

その前に。

わたしはよくこうした誰かのストーリーを書きますが

それは心理学的にナラティブ (文芸理論)=”物語”のこと、

 といってナラティブセラピーというものもあります。

どんなものか、

それは”あなたの物語はどんなものでしょう”

あなたのことを語ってください、というもので、わたしは大好きなものです。

わたしの物語って、

なにも大したことなんてないし、

なにもしてないし、出来てないし

って自己肯定感の低い人はなりがちだと思うんです。

 

そう、わたしは思って欲しくないのです。

 

どんな人にも、いやすべての命にそれぞれに

奏でる生命の、そしてその命だけの詩があるのだから。

リズムがあるのだから。

この世にあふれたリズム、あなたの耳には人間の耳には聞くことが出来ない歌がこんなに溢れているのに。

 

そしてそれらに優劣はない。

どれもが素晴らしく、どれもが尊い

それがグラデーションのように重なり、遠くから見たら交じり、

織りなし、地球の時を作り上げているのに。

誰か一人欠けたら、なくなるのに。

なぜ、あなたの物語に価値がないの?

そして誰かの物語に勝つ必要性があるの?

 

物語に大切なのは、

人生にとって大事なのは、

何かあったとか、何かを成し遂げたとか

そういうことが重要ではないのだ、と

あなたの人生の意味はあなたが見出しすことであり、

ナラティブ セラピーの神髄は

あなたが、”あなたの物語”を受け入れること。

それが自己肯定感の始まりです。

わたしは生きてる価値がある、と。

だって

”わたしは、こう生きてきた=物語”、

を受け入れることなんだから。

 

 

さてさて、

パティシエ金蔵さんに戻ります。

誰かを喜ばせたい、それが手先の器用な金蔵さんの

生きる目的でした。

最初はそれでホテルマンとして人を喜ばせたい、

そう職業人生をスタートされたそうですが、

もっとより積極的に、とデザートを食べて喜んでもらえるという理由で20代後半の遅い時期から菓子職人の道に入ったそうです。

その後、フランスに渡ったり、日本でいろいろな店舗に行っても

認められることはなく、弟子入りは叶わない、収入も安定しない。

そんな低迷した時期が続きます。

それでもあきらめず日本でフランスの三ツ星シェフの関係する店舗のパティシエとして入店しますがしばらくして解雇通知をもらってしまいます。

もうじき店を去らねばならない…そんな時にそのシェフ自身がフランスからやってきます。その際、何か店内での試食会的なものが行われます。もうここには居られない、でも店を去るからいいや、と自暴自棄にならず金蔵さんは、そのシェフがダメ出しした部分を期限内にすべて自分の出し切れるやり方でやり直してみせよう、と菓子を仕上げ自分が出来ることはやり切ります。

そしてシェフに手紙を書きます。

もう店を去らねばなりませんが、

「今のわたしの精いっぱいしました、見てください、」と。

 

シェフは答えます。

「ここにはいられない、ならわたしの元に来なさい、

フランスに来たらいい。」

初めて金蔵さんを認めてくれる人が現れました。

そうして彼は日本国内のそのレストランではなく、

フランスの本店へ、そのシェフの元で働くことになったのです。

後にそのシェフの右腕と呼ばれ活躍します。

その後日本に戻って資生堂パーラーなどに勤務後、

自分のお店を開きます。

大繁盛していましたが、ある日、その店を閉めてしまいます。

あまりに忙しくて、お客様も待たせすぎて(繁盛して店の前はいつも行列でした)

心がすり減ったから、と言っていたかな。

 

そして68歳の今、奥様と二人で週末午後だけ、

そして一つの種類の琥珀糖のみの販売をしてます。

菓子製作は平日やっていて、それを週末に、売る。

わたしは最初、琥珀糖だと日持ちがしてそうしたライフスタイルに

合うから選んだのかと思っていました。

 

そしたら違いました。

あのもう亡くなった三ツ星シェフが、彼が30年前に言ったそうです。

「金蔵、こんな菓子は出来ないかな」

それが結晶化をしきっていない生の部分がある

金蔵パティシエしか作れない琥珀糖です。

その時はまだ形に出来なくてシェフに作ってあげられなかったそのお菓子を、今、金蔵さんは作っている。

 

 

金蔵さんは、シェフと初めて出逢った時、彼と目があったそうです。目が合って近づいてきた。それを鮮明に覚えている。

そしてここはダメ、これはダメ、これは良い、と率直に言ってくれ、

金蔵さんは、これはダメ、に必死で応えたら、

彼は満面の笑みを浮かべて言った。

「いいね、金蔵」と。

初めて自分を認めてくれた人。

引き取り導き、育ててくれた人。

そして自分の努力と才能と工夫を認めて、

自分の作品に満足して笑ってくれた、人。

その人の為に。

あの人の笑顔が見たい、それが金蔵さんの生きる意味。

 

それを陽が燦々と注ぐ、明るい窓辺のあるキッチンで。

琥珀は何年も時を封じ込めるタイムカプセルだけど、

あの琥珀糖には金蔵さんのシェフへの愛が、

そしてお客さんと奥さまへの想いと、

太陽の煌めきが閉じ込められてる。

(通常お菓子作りは温度管理等で太陽光は×ですから特別です)

 

 

奥さまも身体が繁盛店だった頃、

あまりに忙しくて壊してしまったのですが、

でも今でも接客をするのが楽しい、生きがいだ、と。

でもいっぱいは働けない。

週末の午後だけ、夫婦二人で。

二人が出来る範囲で、それ以上は、いらない。

平日作った琥珀糖は半分が来た人に試食になるそうです。

でも、わっと驚いてくれる、喜んでくれる、その笑顔が見れる。

わたしは食べてないからわからないけど、

でも食べた人が言っているのを聞くと、

香りがそのまま封じ込められたようなそんな風に感じられるようです。

 

お菓子への情熱、

お客様がびっくり喜んでくれることへの想い、

妻の希望と生きがいと感謝と

そしてシェフ、あなたへ

あなたの願いと笑顔の為に

金蔵さんは作っている。

 

奥さんの体調もいつ暴走するかわからない。

明日かもしれない、10年後かもしれない。

でも、今たとえ辞めても悔いは全くないと。

続けられるだけ、続ける。

やれるだけ、やる。

未来のことは考えない。

 

わたしは今、を生きているから。

 

だって、

琥珀糖を作っている時、

笑顔でシェフがそこに居る

作ればまた、そこで逢えてる

あなたの為に、あなたの笑顔が見たくて

そんな人と出逢い、その人と生きれた金蔵さんは幸せ

 

琥珀糖を作っている時の金蔵さんの笑顔が

愛おしそうに触る手が、あまりに暖かくて、

幸せそうで、本当に何度も観たい良い番組でした。

 

シェフのきんぞう、と言う呼びかけが心に一番残ったので

あえて伝説のパティシエさんですがあえて”金蔵さん”と書かせて頂きました。

これが金蔵さんの琥珀糖

 

 

わたしがサードアイが閉じてる、心が固い、とか

指し示している人は何か悪いことをしている人ではありません。

(たまに犯罪を犯してしまっている人もいますが)

活躍していない人でもない。

千差万別。

例えば自分で生を終わらせる決断をされて逝ってしまった若く綺麗な俳優さんも良いことをいっぱいしていた。

そしてとても活躍していた。

そしてとても人気があった。

 

けれど、彼はとてもとても無理をしていたのです。

 

彼は幸せに誰かをしたけど、彼の想いと努力、

また財力などは搾取されてしまっていた。

または報われていなかった。

彼が本当に欲しい物、は手に入れられなかった。

(人が羨むものはいっぱい持っていたけど。

本当の引き寄せで巡り合うのは、本当の望み、ですから)

 

それでは彼は幸せじゃない。

 

彼も心からその人の為に、して、そしてそのした人から

貰う何か、があって双方が循環しているか、

それとも一方的なものか、本心から望んだものが手に入っているか、ということなのです。

 

でも彼はきっとあげるばかりが多すぎて、

(ボランティアなどをした人からはお礼やらもらっていたと

思います、でも”彼が欲しかったもの”は別にあって

それはどうしてももらえないもので、それに対し飢餓感が

あった、と言えばわかりやすいでしょうか。

彼に関して言えば、親からの本当の愛、かと思います)

 

でも、それを認めることがつらいから閉じこもるしかなくて、

結果、彼は自分で命を終わらせることを選んだ。

とても綺麗な人でした…残念です。

 

そうした他人の状態を、わたしは感覚で感じとり、

自我を閉ざした人(サードアイを閉じている)と表現しています。

それしかわかりません。

ただはっきり分かることは知名度とか収入とか何をしたかしないからとかそうしたものは関係ない、ということです。

人が幸せに生きている、ということとは。

 

 

だって金蔵パティシエだって

成功って概念で見たら再三度外視したような今の経営より、

昔の弟子がいっぱいいて、

お客様がひっきりなしに来ているようなお店を運営している、

 

または年齢を重ねたら監修という形で自分は店には立たないで

弟子にやらせてもいいだろうし(ネットワークビジネスというかアメリカ発のビジネスに多いですね)

 

でも、そうじゃない。

 

確かに美味しいもの、が引き継がれることは

わたしたちの側からしたら望みたいところだけれど、

でも、わたしはあのお菓子は金蔵さんがたった一人のシェフの為に作ったものだから、ほかの誰も作れなくていいと思う。

そうしたらその想いを侵すことになる、だからそっとしてほしい

サンクチュアリにしたいと願うそんなお菓子でした。

 

レシピ通りに作ったら形は出来る人はいるだろう。

でも、心がそこまでこもることはない。

だから金蔵さんがやめたら、その時共に、があのお菓子には

相応しい。しかし食べた人の心には永遠に残るでしょう。

あれは、美味しい、あんなものは後にも先にもあの人しか作れない、と。

本当の琥珀は何万年の刻を超えて、

生き物や空気を閉じこめるタイムカプセル。金造さんの琥珀糖には金造さんの気持ちと愛が封じ込められてる。

 

 

どうぞ金蔵さんと奥様、

お二人がどうぞ健やかに、

そして皆さんの笑顔と共に、善き日々が丁寧に積み重ねられることを心よりお祈り申し上げております。

 

願わくば、一日でもその日々が長く続きますよう。

 

 

 
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参考コラム

 

右矢印心理セラピー”と”自己回帰セッション”違いって何?

わたしの人生は無駄ではなかった

カウンセリングや心理セラピーを受けるならもっと早い年齢で…今更受けても…などと思うことはいっぱいあると思います。

 

ないですか?

 

わたしは、いっぱいありました…

 

 

いくらお金を積まれても

 

思春期のもう箸が転がっただけで、息が出来なくなるぐらい笑い転げることも、少女として、年頃の娘として着飾ったり恋愛をしたりして青春を謳歌する。少年特有の閉鎖的な仲間だけで持つ、秘密基地のわくわく感とか。(スタンドバイミーはそれを描いた作品ですよね。)

年を重ねても恋愛は可能ですが、   

多分恋愛の質が違う。

あの青い未成熟な坂を駆け上がり伸びゆく時代の、はね。 

もっと無鉄砲で恋愛出来るようなそんな時代は取り戻せない。

 

子どもを産む、とか肉体の限界があるし、

安い生地や地味な色の服装を跳ね返す、

瑞々しい肌と柔らかなエネルギーがある。

もっと遡って言えば、

両親に甘えて膝に座って

頭を撫でてもらう、とか、

学校に行くのにお弁当を作ってもらう、とか。

褒めてもらう、とか、大好きだよ、と抱きしめてもらう、とか。 

たまには悪いところを叱ってもらえる、とか。

それはある程度の歳を超えると難しい。

 

 

勿論、どんな時代もそれぞれに特有の輝きがあるし、その時しか出来ないことがある。けれど人生の前半は受け身でも愛される時代と言えるかな。庇護される、時代。

その時代は取り戻せないから。

 

 

 

わたし自身を振り返ると両親との葛藤の中で、

自尊心と存在して良いと言う許可、また

自分自身を受け入れること、などを認める為の脳の成長を得るチャンスがなかなか得られませんでした。

 

なぜ、朝から顔を見ただけで不愉快だと殴られるのか。

なぜ、帰宅したら電気のブレーカーを落とされた部屋で部屋の外から鍵をかけられ閉じ込められるのか。ドアが開いたら開いた母がわたしの髪を掴み、椅子ごと倒される、殴られる。そして部屋のドアの隙間から居間からの光が漏れている、その隙間から公文の問題だけ差し込まれる。「やったら出てもいい」という声と。

11時頃、父親が帰り、母がわたしがどんなにどうしようもないか訴える声、日をまたぐ父の長い長い説教が始まるか、そのまま玄関から追い出される。

どちらにせよ、自分の目の前で鍵はまた閉まる。

引きずられながら見えた兄弟のバカにする笑い顔が、暗いマンションの廊下で瞼から離れない。

コンクリートはずっと座っていると本当に、冷たくて、固い。

誕生日のケーキをぶつけられる。

ドラマなどでたまたま同じようなシーンが出たら震えが止まらない。もうとっくに成人してるのに。

昨日のことのように、心臓がどくん

と跳ね上がる。

 

父は男以外いらない、と言う。

母は長男以外は価値がない、いや奴隷となって仕えろ、と言う。

母は昔自分がされたことと、それをした自分の姉や兄、両親への復讐を、わたしにする。

 

戸籍上4人家族でも、

わたしはいつも、いない。

会話は3人だけ。

家族も3人だけ。

入る時はバカにされる時だけ。

家族の秘密はいつも3人で。

わたしには、伝えられない。

だってわたしは居ないというか、

家族ではないから。

部外者だから。

 

小学校3年の時に初めて読んだ

にんじん、と言う本。

フランスの作者。

母から一人しいだけられる男の子の話。

お姉さん、お兄さんは可愛がられるけれど意味なく、にんじん、と呼ばれて嫌われる。

わたしの唯一の、友だち。

わたし以外にも母に悪まれる人がいた。

わたしだけじゃなかった。

ああ、わたしだけじゃなかった。

こんな惨めな子ども、わたしだけじゃなかった。

 

どこかに、行きたい。

ここでない、どこか。

でも、どこへ?

母すら愛してくれないわたしを誰が好きになんか。

どこに受け入れてくれる場所なんか。 

 

でも、ここは苦しい。息が出来ない。

 そう、わたしには、

どこにもいる場所なんか、ない。

 

 

 

ここに居るなら母がわたしを見てヒステリックにならないよう、目立ったらいけない。

彼女より女性として、輝いたらいけない。

少女になって、ましてや成長して女性となって男性に認められたらダメ。そんな風にして母を脅かしてはダメ。母だけが女性として大切に、ちやほやされて良い存在。

身を潜めろ、息を殺せ、いや自分を殺せ、主役は彼女、わたしじゃない。わたしは蝶々夫人に寄り添う侍女。

潜んで、息を殺して、男になって守らなきゃいけない。

母をほめたたえて、添え物になって、主演女を際立出せる二番手の不細工な人間にならないと、危ない。

ここに居られない。

 

息が、出来ない。

わたしはそう…生きてない。

 

けれど、そしたら、いつかは。

ここにいたら、いつかは。

兄弟が手に入れている愛情のおこぼれが、わたしにも転がってくるのかもしれない。

夜中にわたしを引き摺り込もうとする暗闇

の恐怖から、大丈夫よ、とそっと手を握ってくれるかもしれない。わたしが望んでいるのは、それだけなのに。

あんなにお願いしたのに、

「面倒、忙しい、うるさい」

隣で兄弟が母の膝に乗って甘えている。

わたしはそんなことしたことはない。 

 

だから、大っ嫌いなのに。

あなたの側は苦しいのに。

 

息が出来ない。

わたしは、わたしを生きてない。

 

でも、なぜ疎まれるのか。

何をしても、しなくても、なぜか。

わたしはどうしても知りたかった。

なぜ、わたしをそこまで潰したがるか、を。

何度も何度も聞いた。

もちろん答えは意味不明。

 

今ならわかる。

だって、彼女がそうしたかったのは

本当はわたしじゃなかったから。

わたしに当たっていただけだから。 

彼女自身、自分の傷から逃げていて混乱して分からないだから、わたしに説明しようがない。わからないけど、わたし=母自身の過去を喚起する者、を見ると内から抑えきれない衝動と激情が込み上げてくるのに乗っ取られているのだから。

 

そして父はそんな母のヒステリーを自分に向けられないよう、

わたしを母の前に差し出して、逃げた。

母の見方のふりをして。

わたし一人が犠牲になればいい、とわたしを切り捨てた。  

 

それだけだったのだ、と。

 

でもあの時は分からなかったから。

どうしても彼女の口から理由を知りたい、と離れることが出来なかった。

 

あまりに理不尽だから

理由が知りたかった。

 

 

結果、その後の人生も、どの職場に行っても、やってもやっても上司はほとんど仕事らしいことをしていない人ばかり贔屓し、自分は人一倍働けど部下からは慕われても評価されない、待遇や給料は良くならない。どころか更に苛酷な案件を押し付けられる。

どこに行っても安心できない。

居ていいのか、ここは居られるのか、そう考えてしまうから。失敗一つにクビを宣告されたように思ってしまう。

そして部下の環境改善の為、顧客の為ばかりしか考えず自分を犠牲にしてしまう。貧乏くじばかりひいてしまう、いや引きに行ってしまう。

 

夢の中まで罵倒されて、嫌味を言われて、うなされて寝たんだかわからぬままに朝6時にはオフィスに座り、パソコンと資料を抱えて街を歩き回り顧客先へ。

サラリーマンがほろ酔い加減で歩く20時過ぎに営業先から会社に戻り、夜中までパソコンで作業して家に帰宅後、遊んで待っている夫の為にご飯作って翌日(0時過ぎだから当日とも言う)の弁当を仕込み、風呂場でうっかり寝落ちし溺れて死にかける。(ブラックあるあるです、氣をつけましょう)出張へ行けば連続10日目あたりから朝起きた時、自分がどの土地にいるかわからない。今は何日で、どこか。

ずーっと働いてるから分からない。

 

 

 

いくら言っても言っても言っても、心からの言葉も聞こうとしない、笛吹けど踊らない、いや、生きようとしない夫。

なんでも頼ってくる実家の家族。

自分のことだけの義理の家族。  

それらの雑用が全てこちらにくる。

頑張れ、頑張らないと、やらないと、そう言って鞭打って。

やっぱり自分を犠牲にしてしまう。

ただ、もう、今は、もう疲れ切っていて、とにかく寝ていたい。

というか起きたくない。

二度と朝が来なくていい。疲れた。

 

夜、ふと橋の上から下の大通りに飛び降りたら楽になれるな、と。

しかしそこで佇む時が唯一の和みの時で。

 

だけど、子どもの為に。

だけど、唯一向き合ってくれた犬の為に。

あと何年生きようか。

あと何年、生きていればいいのか。

もう疲れた…けど、

あと一日だけ、我慢して。

一日だけ、子どもと愛犬の為に生きよう。人のためだけ、わたし、は居なかった。

生きてなかった。

 

 

 

 

 

だからカウンセリング受けたり自分でしたり家族に協力してもらう癒しの過程の中で、はっきり言って思いましたよ。

 

セラピーを10代で受けていたら?

もっと早く人生変わってない?

こんな苦労しないで済んだ、って。

 

母に愛されることに執着して家を出なかった。

憎んでるけど離れると何も食べれなくなってしまっていた。

夢を諦め、ひたすら振り向いてくれることを悪夢にして。 

いつかは、と。

 

家を出て、親とは縁を切り二度と戻らなかったと思います。そして反対され潰された夢に向かっていったと思います。

 

 

小学校の校長先生が善い人で、

小学校6年先の時に一人一人を校長室に呼んで話をしてくれました。

将来何になりたいの?

〇〇になりたいけど、わたしはバカだからなれません…

なぜそんな風に思うのかな、悲しいよ

そう言った時の先生の哀しげな眼差しは忘れません。だけどやってみます、とも言えず黙ったまま。

もし言えてたら良かったかもしれません。

助けてもらえたかもしれない。

 

でも、だって先生、わたし、悪いんだもの。居たらいけないんだもの。何してもダメなんだって。人としておかしいんだって。根性が歪んでるんだって。

毎晩毎晩、そう言われて殴られてるもの、そんな人、幸せや夢を見たらいけないんだよ。

 

けれど、その時に、

わたしは言えませんでした。

 

 

 

時間を巻き戻したい、

それは誰しも思うよね、感情的になる時に。

 

でも それもこれも必然だった、とも思う。大きな流れの中で人生を俯瞰して見れば。

 

 

今は、

 

一人の子どもが 家族がずっと引き継いできた呪縛を受け継がずに育っている、ということ。

わたしが生きて その子が成人するまで見届けられること。

なんとか今、身体(古典物理の世界)はケアをして回復に向かっているということ。

自分が本来やるべき仕事と出逢い、しがらみだけの人間関係からサヨナラできたこと。

そして今、わたしの手の中に、

自分への誇り、があると言うこと。

わたしがわたし自身の為に生きている部分が生まれた、ということ。

わたしがわたし自身を生きている、と言うこと。

それ以上でもそれ以下でもない、

誰と比較するものではない、自分。

(わたしはよくある兄弟は良い、わたしは駄目、ってパターンでしたから比較がないのはとても幸せ)

 

今、仮にいきなり死んだとしても、生き切ったと言えるということ、

わたしはセラピストの仕事は自分に適切な天職である、と言い切れる。

だから一人一人のクライアントさんに、

その一回一回の関わりに、その時の自分の全力を出し切っているから、いつ辞めても後悔は全くない。

いつも目の前のクライアントさんは最後のクライアントさんでセッションもラストのセッションだと思ってしている。

それぐらいの覚悟がなければ人の人生に立ち会えない。トラウマに向き合えない。

わたしは今、を生きている。

 

へと変わりました。

 

もし、20代で受けて自分の本心と出逢っていたなら。わたし個人としては穏やかな人生を歩めていたから、

それはそれで良かった…かも。

(ああ…非常に魅惑的ですな、正直)

 

 

でも、心理セラピストとしてセッション出来る人間の深さはなかったし、今セラピストとして他者の苦しみ哀しみに真っ向から対峙出来る人としての大きさも強さもなかった、と思います。

そうね、心理セラピストにはならなかった、いやなれなかった。

 

経験を積んだから、

あなたの辛さ、苦しさ、虚しさ、悲しさ、それ全てを分かる訳ない、

そんな簡単にわかってたまるか。

そうですね。

そう、そんな簡単なものじゃない。

人一人の人生、想い、そんな軽いもんじゃない。他人なんかに、わかりゃしない、ということをわかってる。

わかろうとしてあなたの側に立つことは出来るけれど。

でも、わかるなんて、おこがましいことは言えない。それでいい。

わからないから、

こそ、わたしはあなたの側に立つ。

 

わからないまま、あなたを真っすぐに見ようとする、目を逸らさない強さが、寄り添える しなかやさが、感じる力が、今のわたしにはある。

 

あなたが自分を取り戻し、自分で歩きだすまで。

 

 

 

これらは人間力です。

人は分からないまま、待つこと、はなかなか出来ません。強い忍耐力が必要です。

 

もちろんそれも日々日々精進のみ、今のまま胡座をかいたら誰だっておしまいです。

そうなったらやめなきゃね、この仕事は。

だって誰かの心を、人生に関与する責任ある仕事だから、カウンセリングも心理セラピーも、技術が必要な部分はほんの僅か。というかカバー出来る箇所は微々たるもの。同じ技法を使い、同じように声がけしようが効果は全く違います。

 

 

効果がある心理セラピストは、どこが違うのかを色々な研究者が調べてますが

 

技術<セラピストの精神の成熟度

および

クライアント側の意識レベルを本心まで うまく導けるか

 

だからセラピストの人間力が大きく、手法を超えてセッション自体が似てくる、と言う研究結果が出てます。

 

 

 

 

だから話を戻して、

そう、捨てたもんじゃないですよ、

人生って。

苦しみや悲しみも失敗も、昇華出来たなら、あなたの大切な力になる。

わたしも家庭でも職場でも夫婦関係でも友人関係でも人間関係に苦しんだり失敗したけど、それは血肉になってる。

今のわたしを構成した大切な一部です。

 

 

わたしの夢は動物や自然に寄り添うか、映画や舞台を作ること、でした。それは対峙した命の内面にある心情に共鳴し寄り添う、そして物事のバランスを見る能力があるから。

映画業界には行かれなかったけど、 

また自然保護レンジャー(動物園の飼育員は嫌だった、弱った一時保護の野生生物をして自然に還す仕事)にもならなかったけど、今、わたしはその才能を使ってクライアントさんの心に寄り添っている。

 

人はね、自分の持つ才能を育て適切に使うことで後悔しない人生が歩めるから。

わたしは子どもの頃夢見た職業とは違ったけど本質的には自らの道に戻ったと言える訳です。つまりはわたしは自分自身に還りました。本来還るべき場所へ。

子どもの頃、自己を否定され見失っていた戻るべき場所へ。

 

 

だから目先や方法にしがみつかないで。

本筋を発見しましょう。

本筋に戻りましょう。

セッションを通じて本当のあなた自身を再発見してください。

 

 

そうですとも、あなたの人生、

素晴らしいに決まってるじゃないですか。

自分で素晴らしい、に転じられる。

 

今まで、自分の人生は自分で変えられる、

そう思えずに無気力化されてしまったから

あきらめてしまったから、

だから人生、辛いのだから。

 

あきらめないで、あなたを。

 

自分にも出来ることがある、

自分にはこんな面があった、

 

そんな風に、わたしはあなたが感じてくれることを願ってセッションしています。

 

あなたが還るべき場所は

あなた自身で、そこは誰にも奪えない。

あなたが勇気を持って歩めば

必ず扉は開きますよ。

だって向こうもあなたを待っているのだから。

 

 

 

さて最近長く付き合いのあるクライアントさんたちが言っていた言葉を。

 

ここに来て(セッション途中で引越ししました)色々あったけど

昔住んでいた場所より、まだ短いけど、こちらの生活の方が厚な時間であり、一生懸命、私を生きている、と思います。

 

 

わたしが〇〇へ来て丸二年!!

時に煩うこともあるけど、人も文化も自然も、大好きな場所です。

昔わだかまりのあった家族と距離はあるけど、心は近くなりました。そして過去に体験した、わたしの人生の時間は無駄なことはなく全て必要だったんだな、と今思えるようになりました。

(この人もセッション終了と共に引越し、近況と共に大好きな土地の美味しくて貴重な物をお裾分けしてくれます。本当にありがとうございます。)

 

 

しあわせ感とは、

何か良いことに恵まれることではなく、自分の人生、そして自分自身をいかに肯定出来たか、ではないでしょうか、ね。

 

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参考コラム

右矢印心理セラピーと自己回帰セッション

心の傷の被害者、というスタンスから抜けだしていくこと

わたしは前より更に流れに乗る生き方になってきました。セッション対する姿勢もそうかもしれません。

前の方がぐいぐい行ってたと感じます。

しかし実行するのはクライアントさん本人なもので。

わたしがぐいぐいしてもな…

と言う心境なのだと思います。

気張るのはクライアントさんでわたしではないから。

 

あなたにわたしが必要な場合は、

交差しますから。

あなたが言い出すかもしれないし、

わたしが見かけるかもしれない。

ふっとね。

そんなふ…が多くなりました。

 

その時にわたしの手を取り、

自分の人生の流れに乗るか、

そこに留まるか、

それはクライアントさん次第です。

 

そうしたい

 

なら、

クライアントさんがするしかない。

 

 

わたしはその人が狭い自己と思い込んでいる、慣れたしかし閉ざされた、虚構の場所から脱する道を指し示し、あなたに寄り添い、勇気づけをし、あなたの成長を見守りますが、しかしそれしか出来ません。

金山のカナリアの様なもの。

 

なりたい

 

なら、やってください。

 

観て、ください。

世界を。

正しい世界を。

 

 

あなたの勝手に決めた、

そうだろう、

どうせ、を取り払った、

そのままの姿を。

 

なぜそれが怖いか。

それはそうした様に他者を見たら、

自分のそのまま、を見ざる得ないから。

 

裸のあなたが、ありのままのあなたが見えてしまう。

 

悲劇のヒロインなら恨んで他者のせいに出来ていたことも、実は自分がしてこなかったからなんだな、と言う責任も見えてくる。

 

しかし、

わたしは可哀想、

あの人はズルい

そう言って

 

見えない、

または意図的に見ないなら、

子どものままいられますから。

それを選ぶ。

 

または、

したことないから。

 

生きることは初めてばかりですよ。

誰しもが。

 

 

 

 

でもこのところ、

ふらっと顔を出すと、

自分の人生の宿題を溜めてしまった人が、

いい加減、ツケを払いなさい、

と、突きつけられているのに出逢うのが多くなりました。

 

 

これを、

なんでわたしが…

または

コロナ禍だから被害者

 

と、とるか

 

これは自分の人生の課題である

もう逃げられないのだ、

 

と、とり真剣に自分自身を見直すか

の瀬戸際だと思います。

 

 

そうするとよく、

 

わたしには無理、

出来ない、

才能ない、

弱いわたしには無理

 

と言われる人がいますが、違いますよ。

 

人生の課題、宿題は

あなたが、こなせること。

あなかが、やるべき、こと。

 

つまりは本気度、やる気次第です。

 

才能の問題ではありません。

 

やってないから溜まっただけです。

 

会社の仕事は誰か代わりにやってくれますし、家事も誰かに押し付けられる場合もありますが、

 

あなたの人生の宿題

 

これは食べることやトイレなどと同じで、

他者が代わりには出来ません。

 

よくわたしの使命、わたしの魂の課題、

などを愛に生きる、とかかっこよく(???わたしには理解出来ないけど、そんな風に言ってるように見える)してますが、

使命を果たしたいなら、義務=宿題、をしなきゃ出来んですよ。

義務=宿題が、ある意味、あなたの使命を果たす為のトレーニングなのだから、

それから逃げて、

使命も、魂の仕事やらもないでしょう。

宿題すら出来ない人が魂の使命とかカッコつけて(?そう言う風にみえる)言えば良いでしょうか。

 

 

 

つまりは、なりたいな、で終わること、

は自分を裏切ることです。

やること、をしなかった、と

人生を後悔することです。

 

 

これは気を氣と書く人によくありまして。

 

わたしも好きな漢字だから前に使ってましたが、字を変えたから何かなる訳ないです。そんなものゴルフを練習もしない下手な金持ちが買い揃えたブランド品のゴルフバックにすぎません。

数々の法則、とやらも同じこと。

いや全てそうでしょう。

 

道具がどんなに素晴らしくても使い手が一番道具に命を吹き込むのだから。

使う人の努力、心根、人間性が主です。

それをやらずに道具ばかり揃えたところで何もなりません。

 

上手い人は、どんな場所でも道具でも出来ます。ブランド品にばかりは頼りません。

 

 

勿論、道具も職人の心が入ったもの、であり、使い手も本質が分かる人の相乗効果は素晴らしいでしょうが。

 

道具を揃え、

セミナーで勉強になったー

法則知ったー

って

 

それよりやることあるだろう

 

って話です。

 

正直、気を氣と書く傾向にあるタイプの人の方が変化が遅いです。

(あくまで傾向ですよ)

だって自分の課題より字を変えることの方が楽で、かつ努力してる満足感はある。

してなくは、ない、から余計。

 

それで

してるのに!!!してるのに!!!

なんでわたしは、ってなるから。

 

これが罠ですな。

 

本当にしなきゃいけないのは自分をしっかり客観視して足りない部分は工夫をし、出来る部分は認めるが

 

 

それじゃない、

あくまでそれは、おまけ。

 

あなたがやってることは。

本筋から逸れない、

逃げない、

誤魔化さない、

自己説得しない=頭だけで、思考だけの声を真実だと思わないこと、

 

 

パワーストーンだって

パワースポットだって

同じこと。

 

悪いものじゃない。

けれど本流じゃない。

あくまでもヘルプ。

どころか間違いをしていたら手伝ってくれません。

 

 

 

わたしは最近しみじみ思うんです。

 

何があったか、

体験したか、

では可哀想な人にはならない、と。

 

可哀想な人とは

 

何かあった、された、ではなく、

 

されたわたしは可哀想

あの人は幸せ、ズルい

と言ってそこから自分では動かず、

誰かがしてくれる、

としてもらうことばかりを期待しては

されずに、わたしは不孝だと思う人だと。

 

人は何かを持っている

から幸せなのではありません。

 

人も、金も、物も、いずれ去ります。

誰からも。

 

その度に嘆く羽目になります。

それは幸せではないでしょう。

条件で左右される幸せの基準なんて

他人任せじゃないですか。

 

依存から出てください。

幸せは自立の道からありますよ

 

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同情と共感の違い

そう言えば、

 


共感と同情の違いはわかりますか?

 


同情とは、

あなたの話を聞いた、わたし自身の感情です。

わかりやすく言うと、話手さんの話を聞いた聞き手さんの主観感情と言うことになります。夏休みだから読書感想文を例に出しましょう。

あなたはある作者の話を読み、あなたが感じたことを書く、と言うことと同じです。それはそれで色んな読み手により受け取りがありそれを話し合う場は楽しい読書会です。しかし作者の真意と=か、と言うとそうではない。

 

 

 

 


共感とは、ひたすら作者自身の真意に近寄る作業になる、なり切ると言うか。

森村さんと言う絵画になりきる芸術家がいますが、あんな感じ。

鑑賞、と、なる、では違うのです。

そうね鑑賞=同情、それに成り切る=共感、と言うとわかりやすい。

 

 

 

 

 

そこに読み手の主観は、無い、のです。

 


作者はどう考え感じたのか、何を想うのか、そこにひたすら近寄り重ねていく作業になります。

わたしは共感能力がある、と言うのはクライアント自身の感覚になっている、と言うことです。それはクライアントさん自身にもなるし、クライアントさんを取り囲む人にもなる、多重な生をその間、同時に体験している、うーん、同時と言うか、次々になりかわっていくような状態と言うか。

その時、わたし(あらた)は、ああ、この人の今、はこうなんだ、と感じています。

この苦しみや痛みとクライアントさん自身が、お互いに、知り合い、わかり合う為にどうしたらよいのか、気づかせられるか、また中にあるこの痛みは何を表現したいんだろう、と試行錯誤する訳です。

わたしは2人(?)の橋渡し役です。

先ずは認めてもらうこと。

痛みや苦しみが強い人ほど無視しているからわかりません。心理用語で言えば乖離状態。苦しいから、悲しいから、辛いから、見たくない、あることを認めたくない、けれど、それらはあなたの一部。大切な大切な一部です。

 


例えば今の学校はイジメを数値化して評価(イジメ以外も)するからイジメは0、にしなきゃいけない。

しかしイジメは人間が複数でいる場合、必ずある、と考え、どう共存するかと受け入れていく方が遥かに風通しのよい場所になりはしませんか。

イジメを隠蔽するより、認め、対象者の声をそれぞれ聴いて寛解に持っていく方が。

イジメた側、イジメられた側、それぞれに言い分がある筈です。それぞれの声を聴き、結果、分かり合えるならそれでよし、分かり合えないなら転校する、でもよいじゃないですか。それぞれケースが違うのだから。それぞれに合う形を模索する。それには言い分を聴き、話を聴いてそれぞれが納得する方法を共に寄り添い発見していくことなんだから。

 

 

 

あなたの中に悲しみ、苦しみ、抵抗、があるのは何かを訴えているからです。

勿論、喜びも、笑いも、感動も、ね。

みんなみんな、そう。

認めてあげないと。

それが自分を見つめること。

それが自分を大切にすること。

 

 

 

だから集中力がとても必要だし、都度都度確認しないとセラピストが自分自身すら見失ってしまいます。一体誰の感情か、誰の痛みの中に居るのか分からなくなってしまうからです。

なので正直結構疲れます。

痛みを浄化する量が多いとかなりカロリーを使うので(太ってますが)セッション中にお腹がなったり(そうした場合クライアントさんは気がつかないモード的ですが)ちょっと冷や汗がこちらは出てます…あとふらついちゃうので飴玉を舐めてカロリーを補充したりしてます。

脳味噌は本当にカロリーを消費する部位です。一過性だから痩せはしないけど。(痩せたらよいのですが…はははは)

 


この時、深い領域に行けば行くだけ、時間はなく(と言うか操作できると言うかタイムマシーンがあると言うか)、多次元的な状態なので、ああ、本当にこちらの世界では多次元なのだ、と実感せざる得ないんですよ。多次元的とは、今に全てはある、と言うことです。

今、の行動が未来のどちらに繋げるか、可能性はさまざまあるけど、クリアしないとタイムラインは違う道と繋がってしまうし、色々ねぇ。本当人生って複雑です。

 

 

 

カウンセラーになりたいなら、

同情しちゃダメです。

それはあなたの感想だから。

 

 

 

で、もしカウンセラーと言うか心理療法をする人になりたいなら、他者を共感する、つまりは他者になり切れるか、と言うことです。自分も他者もある意味執着しないで、クライアントさんを丸ごと受け入れつつ、かつ、理性的に道を示さないといけません。

その素質があるな、と思う方は向いているかと思います。

 

 

 

 


話は変わりますが、

ちょっと前にカウンセラーブームを作り出したあるカウンセラーの師匠の心理セラピストさんが、こんな共感覚を使ったやり方わたしだけ今しかしてない(↑上記共感のこと)と、たまたま今日のブログ記事に書いてありました。何をおっしゃっているのだか…。


まともなセラピストはみんなしてるし、セラピストの条件にあげてる本もあるぐらいです。実際ちゃんとしたカウンセラーは共感能力があり皆さんやってる。

 


出来ないとセッションにならないから。

 


心理療法の必須能力と言えるでしょう。カールロジャース最高のセッションと言われるものの記録を読んでもこの状態にロジャースがなっているのがわかります。(セラピストならああ、だからこの流れが…とね)セラピスト的に言うとゾーン入れてる、ってやつでしょうか。

感覚に個性があるので表現はさまざまでしょうけどね。心理学の本などの事例にその共鳴する体験の報告があるし。

 


実はわたし、昔、その方の集団セッションを観たし、受けたことあるのです。

その時に、わたしの虐待体験に対して彼はこう言ったのを忘れません。

 


「いやー、それ本当のこと?僕に子どもいるけど、僕は子どもにそんな感情持ったことないなあ、それ本当の親御さん?親ならそんなことしないよ」と。

 


しかも何度も何度も言いましたよね。

わたしの中で、立派な親ではないが、あなたに実の親の資格すらない親、と言われる筋合いはない、かつ、そんな親に育てられた(欠陥)あり、と感じ大変ショックでした。

 


セッションの感想を提出する際に、大変不快で傷付いた、先ずは無視され、再度進言したら、そんなことを言った記憶はない、と返答された。

 


集団セッションの会場から出る際、他の参加された見知らぬ人2人から「あんな言い方ないよ。だいたいああいう体験はわたしもあります。実の親だってするよね」と声がけしてもらったのは本当に救いでした。

 

 

 

この方も最初始めた頃は正しい共感能力があった筈です。体感しているから。

しかしわたしが受けた数年前も正しい共感が出来ていたのでしょうか。だとしたら、わたしに言ったような発言が出たでしょうか?

わたしには疑問です。

または能力的に向いていたとしても、わたしはオープンカウンセリングでわたしだけでなく好みのクライアントだけを贔屓する姿のあなたを見て幻滅しましたし、わたしに声をかけてくれた2人の方も同じことを感じていたようで、あれはないよね、とも言っていました。

クライアントさんを贔屓する、は、

評価する、です。

それはどうなんでしょうか。

ごめんなさい、エキサイトしてしまいました。ちょっと記事と実際が違いすぎるので。

 


確かに技術、能力、知性は大切な要素ではありますが、やはり人間性が一番この仕事には必要な気がしています。(勿論、わたしもまだまだです。けれど若いうちのわたしなら余計無理だった、さまざまな経験を経て歳を重ねた今だから、かろうじてでき始めたと感じています)

 


更にこの能力は自分と他人の境界線が曖昧になるものです。よりしっかりした自分を直視し、更に調整する能力も同時に持ち、常に冷静で客観視出来ないと難しいです。

更にそれを支える人間性はあるでしょうか。

その能力と継続は可能ですか?

 


そちらも是非振り返ってみてください。

 


単に相手の気持ちを感じやすい敏感なわたしなのー、的なモノが共感能力ではありませんよ。

 

 

「クライアントとセラピストの間に何も挟まない。技法すら…(セラピストに対し)それぐらいの勇気は持てるでしょう?」

-セラピーの小さな一歩より

 

 

 

これを読んでいるあなたが悩んでる人ならば、どうかちゃんとしたセラピストやカウンセラーに巡り会えますように。

 

わたしらしく生きなさい

あなたらしく生きなさい

他人の夢のために生きるのではなく

あなたの夢に生きなさい

あなたの生の為に命を使いなさい

あなたしか出来ないことをしなさい

 


先生の味を守るのも

それを人に伝播するのも

その鍋を生かすことも

その赤い大地の実りを愛でるのも

あなたしか出来ないのだから

 


その為に生きなさい

その為に使いなさいな、あなたの命を

 


大好きな仲間も

仲間なんだから

あなたの夢を応援してくれるよ

 


今、のあなた、が仲間に与えられること

そして、

今、のあなたが仲間から受け取れること

 


それを見極める為に

しゃくちゃん

なみちゃん

花火ちゃんは、居る

 

 

 

あなたらしく生きなさい

あなたがあなたらしく生きること

それが本当の親孝行

他人の為、大地の為、

子ども達に先生の味、

大地の味を食べさせてあげなさい

それは、あなたしか出来ないよ

 


あなたしか出来ないことが

子どもに一番勇気を与えられるよ

 


さあ、ハイジ がアルプスに着いて

山を登りながら服を脱ぎ捨てていったように、靴を脱いでその温かい大地に立ちなさい

4年前、その地に行く前に

千葉で感じた夢を叶えなさい

思い出しなさい

わたしは覚えているよ

あなたの夢を

 


あなたは?

 


あなたが愉しむこと


をしなさい

 

 

 

 

 

 

今の世が生きづらいのは世の中が”失敗”に寛容じゃないからだ

それは個人もそう。

 

 

例えばコンサートから一件コロナが出たら全面禁止、他の大丈夫だったコンサートや演劇は無視、的な。

 

 

またはクラスターが発生したとして、

 

そっか、そこか、

じゃあこうしてみたらどうだろう

 

かかった人も学んだね

次はこうしないようみんなに伝える前にゆっくり休もう。治療に専念してね。

お大事に。

かかったことは悪くはないよ。

その代わりそのやり方の失敗を

みんなに伝えて教えておくれ。

 

と、世の中が寛容ならば。

 

 

しかし実際は大切な人を守って、とお綺麗な文言だが、本当に言っているのは、

 

あなたが身勝手な行動をしたら

あなたのせいで、死ぬ人がいるぞ

 

と言う恐怖喚起だ。

 

だから、かかったのは違反したからだ。

自己責任だ、お前だけ、ズルい。

 

と更に社会は負の反応をしていく。

 

 

今の学校教育も、育成も、会社の営業会議やマインドコントロールも、これだ。

 

 

あなたのせいで、周りが迷惑する

 

 

恐怖と不安を根底とした最低のやり方で心理学の悪い応用だとわたしは考える。

 

 

ちょっと待って。落ち着いて。

よく見て、よく感じて、全体を見るの。

どこがバランス崩してる?

やってるって言ってるやり方が合ってるの?それともそれがやること、かな。

よく見て。

ここかもしれない。

また、これを結果はわからないけど

新しいやり方を試してみよう。

結果はわからないから失敗するかもしれない。そりゃそうだ。

だって初めてだもの。

数回しても失敗するかな、

そうだよ、経験が浅いもの。

でもしなきゃわからない。

しなきゃ、経験出来ない。

だから失敗していいんだよ、

いや、むしろ失敗が大切な経験の一部じゃない。

でもさ、経験って試すの時間かかるよ…機会もなかなかないかも知れないし…

経験?練習みたいなことして、何も活躍出来ない、すごい人になれないで終わりそう。すごい人とか成果を出してる人ってやれてる人じゃないの?練習なんかできるようになるかもわからないのにしても。

 

なるほど。

じゃ、聞くけど。

そうやってやらなくても時間は過ぎていくし、成果を出すこと、より、

やること、経験すること、が人生そのものなんだと知らないんだね。

 

ではそもそもあなたは成果を出す、すごい人になる、そうしたことで何を求めてるんだろう。

あなたはすごいね、してるね、

って他人から称賛や褒めて欲しい。

でもそれはなんで?

よく内面みてよ。

自信がないから、でしょう。

自信がないから、その穴を他人からもらう言葉で埋めて満たそうとしてる。

 

それは自由だろうか。

生きる上で自立してるだろうか。

 

わたしには何もなし得なくても、

 

学歴、職歴、地位、収入、学校カースト、モテ数、友人数、SNSフォロワー数?

 

クジャクの羽がなくたって、

どの飾りがなくても。

 

わたしが生きた経験が知恵であり、

わたしが人と交流した響きが光であり、

わたしがわたしの経験と身体と真心と言うわたし全てを使って、誰かの笑顔を喚起出来た瞬間こそ、わたしの信ずるに値する道であり、その道が何かを、わたしは知っていて、今のわたしの最大限の貢献をしている最中である。

 

そうしたら、自信が生まれるよ。

誰かの称賛も、飾りの属性も、いらない。

わたしは真に自由になる。

 

これが人としての充実であると考える。

 

 

 

 

 さて、

今日から東京オリンピックが始まる。

しかし2日前にオリンピックのデレクター解雇か。

確かに彼がコントでのネタは言ってはいけないことだ。

数ヶ月前はイギリスの若いシンガーが更に幼い頃、家庭?のような場で黄色人種の差別発言が炎上していた。

 

確かにあの発言は確かによくない。

よくない、が、しかし過去の一つ一つを暴いてなにした、かにした、って。誰しもが写真、映像を撮れるから、拡散しやすいから、残るから、炎上しやすい。

 

だが、そんなに誰しも清廉潔白?

 

ちがうでしょう?

過ちも、いけないことも

人に言えない何かを一つや二つ、誰にもあるのではないか。

わたしはある。

 

それをしたら何もかもいけないの?

若い頃、思い出しただけで逃げたくなるような黒歴史はあるでしょう、誰しも。

それがあるから、今はもう二度と、って思うことにもなる。

(本人が反省してない場合は別)

 

今、を見ようよ。

その人の今を。

 

そして

その人が今は精神的にもし成長したのなら、心から改めようとしているなら、

チャンスの場をもうけようよ。

もうけていこうよ、

その人にも、自分にも。 

 

その場を経て、更にまた成長したなら再び輪の中に受け入れて行こうよ、

互いを赦しあおうよ。

 

この前セッションの中で絞り出す様に出た一言。

「やっと赦せる・・・」

その時一番楽になって嬉しそうだったのは

赦された人ではなく赦した人だった。

だから赦すことは誰のためだろう、

赦す人の為なのだ。

 

そう、赦すこと、

それは自分自身が解放されることだから。

(だからって無理に赦そうとはしてはいけないよ。

時期が来て、内側から思いもよらず赦そう、そう湧き上がる想いが出るまでそっとしておこう)

 

自分も、人も、嫌いなあの人も、

大好きなあの人も。

いつか赦せたらいい。

互いの為に。

自由になるために。

 

 

それが多様性を認めることじゃない?

それが共生なんじゃない?

これが愛ってやつじゃないの?

 

 

今日から東京オリンピック始まります。

 

パラリンピックもやれますよう。と言うかパラリンピックもオリンピックと同時にすることが本当の共生かと思うが)

 

 

わたしは誘致自体に石原都知事時代から都民として賛成ではなかったが、

それは置いておこう、開催するのだから。

 

さあ、応援しようじゃないですか。

全ての参加者の方が全力で自分を表現出来ますよう。その活躍を観て少しでもコロナで塞いだ世の中が晴れますよう。

 

そしてこのオリンピックのテーマの

多様性、共生の概念が世界に、

今日より更に、

少しでもどうか拡がりますよう。

これをきっかけに赦せる世界が始まりますように。

 

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