“自分自身を生きれて来れなかった”あなたへ「本当のあなたってどんな人? 何が好きで、何が嫌い? そして真に望むモノは何?」

生きづらい、自分の価値がわからない、虚しい、孤独、消えたい…居場所がない、アダルトチルドレン … 独りで そんな想いを抱えてませんか。 わたしと一緒に あなたの潜在意識の底の”本来の あなた”に逢いに行きましょう。 あなたの真の願いに触れる為に。 そして あなた自身に戻る為に。

元認定カウンセラーだったあなたへ

あのオープンカウンセリングの時、

なぜわたしの問いかけに応じ、

クライエントのフェルトセンスが反応した瞬間、

あなたはそれを妨害したんだろう。

 

そのままフェルトセンスが怒り狂っているのを

無視し、クライエントの氣を他にそらして

心理療法風味、の小芝居を続けたんだろう?

 

それはうらやましかったからだよね。

負けた、と思ったからだよね。

だってその前の認定カウンセラーが全く迷走したままの

無駄なカウンセリングをしている時は余裕で見ていたのだから。

 

 

でもさ、クライエントさんにとって

それはどうなんだろう。

 

あなたの、「私の方が上」と言う

負けん気と証明をみんなの前で示したいが為、

犠牲になったのは、だれか。

クライエントさんだ。

 

実はこれはこのセッション業界(?)では

本当によく見られることだ。

カウンセラー仲間が真の友情?

ない、ない、ない。

表向きだけ、裏では先生に一番気にいられてるのは私、

本当は一番うまいのは私。

だからわたしは離れた。

互いに切磋琢磨する関係がわたしの望む関係であり、

嫉妬し合う、つぶし合う関係、表面的な関係を望んでいなかったからだ。

それに実は何度もこの仕事を辞めようと思ったことがある。

こんな人たちと同じような人種にみられてしまうのではないか、

同じと思われたら嫌だという想いからだ。

 

 

そもそもわたしのとり心理療法での第一優先はクライエントであり、自分の見栄や負けたくない、というくだらない感情なぞセッションで存在することはないからだ。

いや、ある意味負けたくない、は悪くはない。

だが負けたくないなら、誰の猿真似もすべきではないだろう。

努力の方向、そして在るべき心根が間違っている。

 

実はこれを二人の認定カウンセラーにやられてる。

そして二人とも今だ、わたしの後を追いかけようとしてる。

つまりは人の猿真似だ。

恥ずかしい、人として美しくない。

美しい人、とは美容やスムージーを飲むことではない。

 

 

わたしは起業した時から主張もメニューも変えていない。

自分の成長の度合いによりより表現や内容が変わる部分が

あったとしても芯はまったく変わっていない。

 

自分を生きてこれず、

苦しくて、本当に望んでいること、

本当は一緒に居たい人、

誰かへの奉仕ばかりして、

自分を大切に出来ないできた、人。

その人自身が望むこと、

その人自身の夢を思い出して欲しい。

自分の生き方を歩んで欲しい。

 

そう思ってきた。

だから自分自身に還る、これが最初からの想いであり、

自他ともに自己一致している状態ということが幸せである、と思っている。

 

だから自分軸の探求であり、また身体を幼少から壊していて

整体から始まり整えること、を重視してきたことが心理療法と合致したため、その自分軸、身体、心、という三位一体をメニューとしてきた。

 

が、あなたはわたしをオープンで目のあたりにして

羨ましくなり、いや、負けたくない、と

その組織を離れ、やったこと。

他人さまが開発した自分軸発見セッション、

ストレッチの資格をとり、と。

どこがオリジナルなんだか。

 

そう、たいてい自分に自信がない人、

また出来ない人はもっと他にアイテムはないか

と違うことに手を出す。

よくいないか、わたしはこれだけ学びに投資してきました、

そう金額やら年月を自慢する。

そして今はこれに向けてチャレンジ、やらこの資格を取っている、と。資格は取ることに意味があるのではなく、過程の中に新たな発見があるかどうか、また何か過去の解決できなかったものへ新たな光をもたらすかどうか、が本当の学びであって資格なんて法的な部分以外意味なんかあるんだろうか、とすら思う。

だいだい認定資格やら、なんたら資格なんてそれ自体がビジネスなんで。そこで儲けてるのだから本当には難しくしないですよ。

ある程度テストがあっても用語を覚えていたりやり方を覚えていたら資格与えちゃいます。少し難しくとか、努力が必要だとより、その資格にありがたみが出る(つまりは高値で売れる)でしょう。

だってそうしないと次の資格とろう、また講座受けようって思ってくれないじゃん。飴をあげないと。

資格も認定とか上級とかも飴だから。実力じゃないよ。

実力ある弟子は潰すのが師匠だからね。

そういうのね、師匠ビジネスって言うのさ。

その師匠ビジネスの仕組みを今度はコンサルって人が売る。

それがネットやらSNSを駆使したビジネス?ってやつです。

 

だから週に3日しか働かずに、遊んで暮らしてるけど大儲かり、とかのネットワークビジネスが存在するわけです。

動画を売る、とか、テキスト売る、とかオンラインサロンに入ろう、とか。動画に任せるのか、テキストをダウンロード勝手にしてくれて儲けるのか、オンラインサロンでその中の人が勝手に話し合ってくれて、その中だけで特別感を出した商品を売るという顧客の囲いこみが出来るとか。

 

んでも、もともとこの発想はアメリカのネットワークビジネスが発端です。化粧品、鍋、薬、情報教材、子ネズミがあなたの為に働く、ってね。アメリカはこれを普通の企業にもどんどん取り入れていったんだよね、プロアクティブとか、聞いたことある会社だよね。

 

だから貧富の差が激しくなった。

しかも富裕層であればあるだけ、直接的な労働、と乖離した現場になっていった。(それが3日だけ働いて後は…だ。)

分厚い中間労働者層があること、それが社会的安定と幸せを招くのに。

 

 

だからそんなのに参加したらダメだよ。

身近な例で言います。クーポンって使ったら得したって思う?

でもそのクーポンのお金のしわ寄せはバイトの削減、機械化、になるんだよ。巡り巡ってどこかで自分か家族の雇用に跳ね返る。

直接じゃないけど、どこかで。

懸賞も得したような氣になるけど、でも、企業が売りたい商品ってのに踊らされる羽目になる。ポイントも同じね。

だってこの商品買ったら、でしょう?

あなたが欲しい物を選ぶ自分の意志を捨てて、または依存して、

お得感を得ることが、あなたの真の自由だろうか。

わたしは自らちゃんと向き合った労働で対価を手にしたいし、

そして感謝してそれを使いたい。

 

 

話が逸れたね。

戻そうか、だからわたしは資格をあまりに持ちすぎている人なんか信用できない。

 

なぜなら、本当に料理をうまくなりたいなら、

100のレシピを習うより、

10のレシピを何度も何度も作る方が学べるからだ。

心理療法も同じこと。

一つの技法を突き詰めていくと、

ある日ふっと、別の技法がうまくなっているのに氣が付く。

それが本当の学び。

それが本当の手にした実力。

わたしから奪えないもの、だ。

だからあなたも当然奪えてないし、

真似すらもできていない。

文章がわたしは下手だから、あの人はうまいから胡麻化している、だから言葉を真似したら…いやいやいや、わたしは文章は読めば誰でもわかるが上手くはない。

ただ、自分の言葉なだけだ。

誰の言葉でもない、わたしの心から出た言葉だからだ。

本心から出た言葉だから、時に人は読むと心が揺さぶられる。

それだけブレているあなただ、そりゃ揺さぶらるだろう。

 

 

最後に締めくくる。

某番組が言うプロフェッショナルとは?

という問いかけをわたしになんぞする人はいないが

重要だから書いておく。

 

自分惚れ込んだことを、

答えが見えなかろうが

単純作業だろうが

誰にもかえりみられなかろうが

真摯に実直に誠実に、

繰り返し繰り返し、あきらめず続けられる人

一生かかっても完璧な技が出来た、なんて

数回あれば幸せなんじゃない?

というかそもそも完成なんて、

分かったなんて、思えるかどうか。

探求すればするだけ増えるのは”わからない”

なんだから

喧嘩していい  ”本当の家族の育み方” とは

家族とは人と人の集まりですから

構成メンバーである人が成長するように、

”家族”というグループに対しても、

やはり変容、成長を望むことが健全な家族の道と言えるでしょう。

 

 

では、どうしていくことが”家族”を育むことになるのか。

 

それは構成員が全員で家族メンバーを互いに、認め合い、受け入れ合うことが大前提となります。

更に自主的に家族、というグループに対し、それぞれの構成員が(親であれ子であれ)純粋な好奇心と興味を持っていなくてはなりません。これは色眼鏡で見ない、つまり あいつはこういう奴だ、と決めつけないこと、です。決めつけてしまえば、人は成長を止められてしまうのだから。

 

 

 

特に日本人は大いなるものには巻かれておけ、流れに任せておけ、という受け身な民族的な背景がある分、より積極的に主体的にわたしの家族へ目を向けていく必要性があるでしょう。

 

そう、夫婦は婚姻届けを出した時に夫婦として法律的な宣言、また権利を得ることにはなりますが、それだけでは形が整っただけで夫婦としての心が入っていないように。家族にも家族という有機体へ命を吹き込む必要があります。

 

それには家族も、それぞれが夫であり、妻であり、子どもであり、祖父、祖母、伯父、伯母、甥…というそれぞれのメンバーが全体を把握し、自分という人間が、この家族を作り出すには、どう貢献していくことができるのか、常に問い、考え、実行すること、これが家族を育むことだと思います。

 

 

昔からの家族像だと父親が家族グループの方針をトップダウンで全てを決め

家族が従うイメージでしたが、これからの時代の家族の育み方の在り様はこのように違ってくるのではないでしょうか。

 

 

 

そして家族は人間の集まりですから喧嘩やぶつかり合いもあって当然です。

理想的な家族は常に穏やかで意見の食い違いがない訳ではありません。
 
表面的な平和は誰かが我慢しているから。
 
構成員の人びと全員が、言いたいことを言い合えるのこと、それが健全な家族です。
お互い違う人間が言いたいことを言い出したら、なんらかの意見の食い違いは出る筈です。それは誰が正しいとか間違ってるとかではなく、人が違うから、ただそれだけであり、より健全な証拠です。だって個性が出せているのだから。
 
 
違う人間だから、クーラーの温度設定から、餅の焼き具合、カレーの辛さ、お茶の濃さ、タオルの好みに、趣味の違い、声の掛け方、電氣をつけるタイミング、テレビのチャンネル、流す音楽、将来の家族としての展望(どんな場所に住みたいか、その時の家はどんなスタイルか、ライフスタイルの共有イメージ)、生活の小さなことから、全体的な生き方まで、本当に様々な相違があって。
 
それを、
 
では わたし達家族としては、
どうしていくのが一番暮らしやすいのか、 
 
互いに、
ここは譲れないと本音を言い合い、
ここは妥協しようと譲り合い、
自分自身の氣持ちをきちんと分かりやすく声にし、伝えていくこと。
 
そして子どもだろうが年功序列や性別、年齢等の属性に惑わされることなく、
平等に言い合えること、それが家族を工夫して創り上げていくこと。
これが家族の(夫婦、友人、クラス、会社然り)育み方なのだから。
 
 
 
 
この前、約一年ぶりであるクライアントさんのその後のお話を伺いました。
 
心理セラピーを受けて、ご自身はますますお元氣になった。
そういえば最近、成人されたお子さんが嫌な時はいやだ、とふくれっ面になることがある。
前はどんなことでもわたしの言うことは黙って聴いていてくれた、うなずいてくれたのに。
でもわたし自身も嫌な時は嫌だ、って言うようになってしまって。
ですから、わたしはこう申し上げました。
 
お子さんは、お母さま(クライアントさん)が元氣になったので、
ようやく安心して、本音をあなたに言えることが出来るようになったんですよ。
今まではお母さんは可哀想、だから自分が我慢しなきゃ、としてくれていた。
だからこれからは、お互いが本音を言い合える環境なのだからクライアントさんが今度は、わたしがセッションでお教えしたように、ただ言いたい時に勝手に投げ捨てる様に言う、ということではなく。
相手のことを考えた間合いのとり方を実践し合うことで、お子さんは更にコミニケーション能力を高めることが出来ます。
 
それはお子さんが社会で生きていく時、
そして将来結婚する時、財産になることでしょう。そうして今度はあなたが家族を更に幸せにすることが出来るんですよ、と。
 
 
 
だから、言い合い、喧嘩※が出来ること、が良い人間関係の必須条件です。
それはお互いの違いを知り合う、伝え合う、つまりは相互理解の始まりだと言えるからです。
 
 
 
ただ、アダルトチルドレンなどは喧嘩に対し、心の傷がフィルターとなって客観的に物事を判断し受け止められません。
過剰に反応したりし、結果、過大解釈や誤変換をして、”自分が責められた”、”相手を責めてしまった”と恐怖や罪悪感として受け止めてしまいます。それが怖くて自分が我慢するか無視するか、相手を黙らせてたり、とにかく頑張った努力に全力を尽くしてしまうのです。
 
 
 
※【重要
正しい喧嘩は互いが互いに本音を言い合えること、です。
 
❌一方的に言う、怒鳴る、また聞かないで黙り込む。黙ってひたすら言いなりになる。聞き流す、一切無視、ただ暴力(肉体的、言語的、無視含む)に訴える。
 
これらは喧嘩ではなく暴力、
ネグレスト行為です。
それをしてしまうのは機能不全家族で育ち、暴力とネグレストというコミニケーションしか学んでこなかったアダルトチルドレンの特性とも言えるでしょう。
 
 
 
 
=====================
冬季お休みのお知らせ
=====================
12月23日より1月10日まで
お休みとさせてい頂きます。
どうぞよろしくお願いいたします。
 

・各メニューご案内 ・

━━━━━━━━━━━━━━━

「生きる力を取り戻したい」 あなたには

わんわん心理セラピーの詳細はこちら!

 

「本当の自分に還りたい」 あなたには

わんわん自己回帰セッションの詳細はこちら!

 

「セラピストあらた」 から あなたに

わんわんわたしからのメッセージこちら!

━━━━━━━━━━━━━━━━

▶▶▶ HPはこちら!!

 

 

 

 

【無償セラピーのご案内】2月13日の福島県沖地震にてPTSDを喚起された、あなたへ

わたしは心理セラピストとして、

(自己PR及び療法など>>>こちら

今回、ささやかではありますが

そしてまた一回では、

なかなか癒しきれないかもしれませんが傷は新しいうちの方が反応しやすいです。

ほんの少しでも心と身体が軽く息がしやすくなって頂けたら、と。

 

災害ボランティアの一環として、

無償カウンセリング・心理セラピー

を募集させていただきたいと思います。

 

※カウンセリングは傾聴を中心としたもの、心理セラピーはワークというより積極的にセラピストが心理療法の技を出していく違いがあります。ですが日本ではカウンセリングの方が一般的なので並列で書かせて頂きました。

 

 

 

災害直後はとにかく命第一ですが、

しばらく経ってからやること、

それは心のケア、です。

 

なぜなら物、状況、生活スタイル、

そして命、それらの突然の喪失は多大なる被害を心にもたらすから、です。

 

 

なぜ、わたしが。

どうして突然…。

わたしが生き残ってしまった。

あまりに大きな自然の力。

なす術もなかった…

いきなり消えた大切な物、街、あの人。

 

 

そうしたものによる氣力の低下、

やる気の喪失、虚しさ、悲しみ、怒り、

それらが体の症状として、不眠、イラつき、涙が流れる、無氣力、誰とも会いたくない。表情が固まったまま、震え…。

 

それらは、男性でも、大人でも、

いや誰でも、あって当然のことです。

 

 

それでも、それだから、生きていく。

明日に向かって立ち上がる為に必要なこと。

 

それは希望、です。

希望が生まれるのは心です。

だからわたしは心のケア、寄り添いをご提供したい。

そしてそれを持って健康な体と心、安全に生活する場、交流することが街の、あなたの復興への一歩だと感じるから。

 

それがあってはじめて生活(家、学校、街)、仕事(田畑、工場、職場、等)

再建していく方に向かえる。

再建する為に必須なもの、

それは前向きな氣力であります。

そしてその氣力を産み出す為には、

ショックを受けた心に寄り添う必要があります。

 

もしご興味がありましたら、

下記よりお申込みくださいませ。

 

 

 

 

1)必要な物

 

静かな場所。

 

スカイフォン

わたしが推奨させた頂いている通話アプリ

(日本製・ユーザー登録不要で無茶苦茶簡単です)

 

 👇

①SkyPhonダウンロード方法

②番号取得

 

 

2)応募資格

今回の無償セラピーは東北在住の方で、

地震による過去のトラウマが喚起された方。

 

どうぞよろしくお願いいたします。

 

 
 
3)お申込み
お問い合わせ欄に、
身体の悩み(不眠・震え・だるい・動悸)、誰にも言えない辛さを誰かに吐き出したい、などご要望を簡単にお書きください。
 
また希望日時を第三希望まで書き添え、
以下のフォームからお送りください。

 

一回、お一人様一時間半程度、
と考えております。
 
※その方の状況により若干の前後はありますので余裕ある時間を持ってお申し込みください。
 
※お互いの良い日時をすり合わせていきましょう。
>>>こちら
 
どうぞよろしくお願いいたします。
必要な方に届きますよう。

便利(スマホ)という鬼

今週のお題「鬼」

 

わたしは黒豆を煮る時間が好きです。何かをコトコト時間をかけて作ること、発酵も自家酵母をふつふつ起こすこと、
何かに何を投げかけ、それ自体が変化を起こすことに魅力を感じるからだと思います。季節ごとのそうした手仕事は四季と共にある豊かな恵みと共に生きていることを教えてくれる大切なものです。

 


去年、結果ばかり、速さばかり、を求めがちなある人に手作りベーコンと黒豆とを贈りました。3日かけて煮る黒豆は柔らかく、2週間熟成させて作るベーコンは味わいが違うものです。
少しは伝わっただろうか。
この一年を通じてその人は少しは理解し始めているのだろう、そう感じています。

 

 


この様に人には、いや物事の理には必ず全てに必要な個々の時間があります。
それはそれぞれに帰依する為、


本来の自分に還る様なセッションを、
どなたも3か月で出来ます!とか、
そのノウハウをマニュアル化しました!と言うモノをわたしは信じられません。


クライエントさんそれぞれ違うのだから。


目安はありますが、
それぞれに時間は違うし、
目指す目標も違うでしょう。
だいたい、自分自身のリズムを守ることが出来なくて、自分の中に不調和が生まれたのに、コーチやカウンセラーたちのリズム、マニュアルに合わしても意味がないでしょう?

 


だから一見無駄なようだったり、
時間がかかることも、
変化が見られない間にこそ、
必要不可欠なものが潜んでいます。


全てに無駄がない、とはそう言うことです。現代人は合理化、マニュアル化、仕組み作りをして賢くなった、と勘違いしていますが、それのせいで忘れてきたモノにそろそろ気がつく時ではないでしょうか。


眠る時間は無駄だから24時間稼働したモノを作り、急げ、直ぐに、とスピードを競い、果たして幸せと平穏は手に入ったのでしょうか。日本では4人に1人は睡眠障害があると言われています。
が、穏やかな睡眠は幸せの不可欠な条件です。しかしスピードや利便性、経費削減を選ぶならスマホに窓口や営業をさせれば良い。が、おかげさまで人間は手続きはさまざまなことがスマホブルーライト画面(覚醒を促し脳を興奮状態に陥らせる)と始終睨めっこ、質の良い睡眠が取れない様に自らしています。頼んだモノが24時間に手に入ること 対 布団に入って心地よく眠り朝爽やかに起きれる目覚め、どちらが生き物に必要なのでしょう。幸せなのでしょう。


今の現代人はこうやって効率、合理的、ばかりを素晴らしいと称賛してやりたがる。
今、一瞬は良い?と言うかラク、または便利?安上がり?かもしれません。
しかし長いスパンで見た場合本当にそれは我々人、と言う生命にとって好ましいことなのでしょうか。 


わたしはそうは思いません。
わたしは種を植えてすぐにどんな花か、芽か知りたいとは思わない。ある日時満ちて咲いた時に知りたい、そう思う。
クライエントさんの変化もそうです。
待つ時間が必要です。
それはその人がその人のリズムを少しづつ取り戻していく為、時に眠りもする、そんな時間だから、です。


だから豆を煮る様な、発芽を待つ様な、熟成を見守る様な、そんな時間はセッションと重なります。

 


わたしは本当にそろそろ現代人は、
そうやって切り捨ててきた中に大切なものがあること、それを個々人がもう一度取り戻すことに気づくこと、それが自分の中の鬼と向き合うことなのではないでしょうか。

またそれらが新しい時代に必要な、そしてこの便利そうに見えてガチガチの閉塞感に圧縮されたものを打破する力と感じています。

 

もちろん、便利を放棄することは開発する以上に困難です。

ボタン一つで出来立ての料理が宅配され、財布から小銭を選びおつりを計算することなくスマホを差し出したらお金が支払われる。

3クリックで必要な物が届き、スタンプ一つで連絡が済む、のかもしれない。

 

けれど、それでいいのでしょうか。

それが幸せ、につながるのでしょうか。

無理に困難を選ぶ必要がない、けれど。

合理的、利便性の追求は生命である生き物である、人として、

わたしたちの心に、身体に、優しいのでしょうか。

 

手を動かし、箒と雑巾がけをすることで大腰筋(上半身と下半身を繋ぐ唯一の筋肉)が目覚めさせることが出来ます。自分で作る料理は、家族の、または自分の今、の身体に合った味付けが匙加減出来ます。また料理を一から作るのは総合的な脳と身体の働きの先に出来るものです。コストと栄養を計算し、材料をそろえ、適切な調理を行う。

脳の訓練になります。

 

そして紙に印刷した本や漫画は重くかさばるかもしれません。

場所も取ります(我が家は本の置き場が…)

が、しかし本を隣に置き、手触りを確かめると読まなくても大切な先生が側に居てくれる感じがします。そこに、”実体がある”と思える。それはわたしに勇気をくれます。

既に読んだ本を何気なく開くと、偶然開かれたページに今日、必要な言葉が出てくる場合もある。

 

そんな情緒的な話ばかりでなく、今現代人は近視が増えています。

近視はうつ病や痴呆症、そして失明につながる病です。

それは30㎝内ばかりに焦点をあてているから。

スマホ、パソコン、本もそうですが、かろうじて本はブルーライトじゃない。

ブルーライトで近視(30㎝以内)での酷使は目と脳には最悪の状態です。

今世界中でブルーライトによる不眠症が年齢を問わずに増えている。

確かにスマホをいじること、それはなんとなくの暇つぶしから、

情報を得る、コミュニケーション、遊び、仲間探し、買い物…

現代のプラットフォームになりました。

 

しかしスマホに使われたらいけないと思います。

ただただ利便性に流されたらいけないと思います。

主権は自分自身になければならない。

だとしたなら、スマホに使われたら、ダメです。

スマホは魅力ある鬼なのだから。

 

 

しかしながらスマホがなくなることはなく、どっぷりの人たちはいるでしょう。
が、しかし疑問に思う人も出てくるでしょう。それはきっと自分自身のリズムを取り戻し自らの調和を持った人、です。


そしてその人とは、本来の自分を感じようと出来る人だし、本当の幸せを感じることのできる人だと思います。

 

f:id:nyota323:20201213144030j:image
Eさん、ご馳走さまでした。
美味しかったです。

大地の味、玄米があってた。

スパイスの融合が素晴らしい!!

生き還る味でした。

 

大人とは、成熟した人とはこういう人を言うのではないのか

今週のお題「大人になったなと感じるとき」

 

わたしが大人、成人した、と考える人となりとは

自分自身を受け入れ、他者も受け入れる、または最大限に理解しようとし、

精神的には自立し、自律した状態を長く保つことの出来るバランスの良い人、

だと考えます。

それは以下の自己実現した人、と言えるのかな、と。

身体年齢は関係なく…。

 

 

自己実現をした人となりとはどういう人でしょうか?

意識高い系や変な心理系ブログのものは違います。

具体的にどんな心理状態にある人であるのか、

長文ですが以下の著作より、

わかりやすく書いたものがあるので引用しておきます。

 

読むとわかると思いますが、

とても人間らしい状態です。

しかし瞬間瞬間を大切に、向上心を失わず、

自分ばかりではなく、かといって、他者にのみ心を奪われることなく、バランスがとれ、生きている。

そんな人物像が浮かびあがりませんか?

 

 

「Born to Win」

ミリエル・ジェイムズ 

ドロシー・ジョングウォード共著より

※重要な部分の強調、注釈は、わたしが加えさせて頂きました。

”勝者たる人間(※=自己実現をした人を表している あらた談)は、様々な潜在能力をもっている。最も重要なものは、その業績ではない人間としての「真実味」が持っても重要なものだ。真実の人間は、自己をよく知り、本当の自分を表現し、信頼できる、期待に応えることの出来る人間になることによって、現実の自己というものを体験する。

 

このような人は、自分が持っている今までにないユニークな面を実現し、また、他人のユニークさを正しく評価できる人である。その人は、自分が「こうあるべきだ」と考えるイメージのために、自分の人生を犠牲にするようなことはしない。

むしろ勝者は、現実の自分であることに専念する。したがって演技をしたり、見せかけの自己をもちつづけたり、巧みに人をゲームに引きずり込んだりするようなことをして、エネルギーを消費することはしない。(※ここで言うゲームとは交流分析のエリックバーンの「こじれた人間関係やパターン化された対人トラブルを引き起こす自滅的なコミュニケーション」のこと)

 

勝者は他人の機嫌をとったり、人を怒らせたり、そそのかしたりして自分の思い通りにすることはしなくても、自己を実現することが出来る。(←これをバーンはゲームと称した。実際にこのゲームを無意識に仕掛けたり仕掛けられたりすると人間関係がこじれやすいです。ただしゲームを身につけないと機能不全家族では成長出来なかった、ということもあります。が、それはあなたの性格、ではなく、癖、です。癖は意識したら変えられますよ!!努力は不可欠ですが。自己回帰では変えていくあなただけの具体的な方法を指摘いたします)

 

その人は「愛すること」と、

「愛情のあるように見せかけること」

 

「愚鈍であること」と、

「愚鈍にふるまうこと」

 

「利口であること」と、

「利口なふりをすること」

(紫の文字が意識高い系やエセスピや

なんちゃって心理学の系統)

 

の違いがわかる人である。

 

勝者は、仮面をかぶって真の自己を隠す必要はさらさらない。また、劣等感とか優越感など、非現実的な自己イメージは投げ捨てる。

 

また自律的であることが勝者を脅かすこともない。

誰でも、たとえ束の間でも自律している時がある。

しかし勝者ならば、相当長い期間それを維持するのが可能である。

 

(以下の文が具体的に自律をしている人の状態を表しています)

勝者は時には不利な立場に追い込まれ、失敗することさえもあるかも知れない。しかしそうした敗退にもかかわらず、勝者は自分に対する基本的な信頼感をなくしはしない。勝者は自分で考えるコトを怖がらないし、自分の知識を活用することも恐れない。

 

勝者は、真実と意見を区別することができ、何でも知っているふりをすることはない。人の意見に耳を傾け、それを評価するが、最終的には自分自身の結論を出す。他者を賞賛し尊重する能力を持つ一方で、決して定義付けされたり、打ち砕かれたり、束縛されたり、畏怖させられたりすることもない。

勝者は「何も出来ない無力人間」のゲームや、「責任の押しつけ」ゲーム(前も出てきた交流分析のゲームのこと)を決して演じたりしない。

 

その代わり勝者は、自分の生き方に責任をもっている。相手に対して、いたずらに卑屈な態度をとらない。勝者は自分自身のボスであり、また自分でもそのことをよく認識している。

 

勝者はタイミングよく、また状況にふさわしい反応をする。その人の反応は、送られたメッセージに関係したものであり、それに関連ある人物の尊厳、福祉、価値や重要性を維持する場合に適切である。

 

勝者は、全てのものに好期というものがあり、すべての行動に適時というものがあることを知っている。

積極的・攻撃的にふるまう時と受動的にふるまう時、

みなと共にある時と一人でいる時、

闘う時と愛する時、働く時と遊ぶ時、泣く時と笑う時、

対決する時と退く時、発言する時と、沈黙の時、急ぐ時と待つ時、勝者にとって時間は貴重である。

その人はそれを無駄にしない。

それは今現在、ここで使うのだ、現在に生きる、ということは本人自身の過去のことを愚かにも無視することではないし、また、将来の為の準備をしないということでもない。

 

そうではなく、勝者は自分の過去を知り、現在をよく認識し、現在に生きそして期待を持って未来を見つめる。

 

また勝者は、自分の感情と自分の限界を知る事を学び、それを恐れない。

自分の内部にある矛盾や二律背反に惑わされることはない。自分が起こっているときはそれを知っており、他人が自分に対して怒っている時もそれに耳を傾けることができる。彼は愛情を与えることも受け取ることもできる。人を愛することができ、人から愛されることもできる人間である。

 

勝者は自由で自然にふるまうことが出来る。

前もって決定された融通のきかないやり方で反応する必要がない。状況の変化に応じて、自分の考えを変えることが出来る。

 

勝者は人生に情熱を燃やしている。

仕事や遊び、食物や他の人間たち、セックスや自然の世界を楽しむ。なんら罪の意識をもたずに、自分の達成したことを楽しむ。

ねたみをもたないで、他人の成功を喜ぶのだ。

 

勝者は自分を自由に楽しむことができるが、同様に楽しみを先に引き延ばすことも出来る。自分の欲するものを追求するのを恐れないが、それを適切な方法で行う。人をコントロールすることで自分の安全を得ようとはしない。自分が失敗するようなお膳立てはしない。

 

勝者は、世間の出来事やまわりの人々に対して細かく氣を配る。社会一般的な問題から孤立してはいない。生活の質を改善することに関心と情熱をもち、それにコミットしている。たとえ、国内的あるいは国際的な逆境に直面しても、彼は自分がまったく無力であるとは思わない。

勝者は、この世界をより良い場所にするために最善を尽くすであろう。



❏ プロフィール
❏あなたへメッセージ
❏ セッションメニュー


◆心を癒し、

「あなた自身の生きる力を取り戻す」

右矢印【心理セラピー詳細】!

右矢印コース&料金はこちら!

 

◇癒しから更に先へ
「あなたの人生の意味を問う」

右矢印【自己回帰セッション】詳細!

右矢印コース&料金はこちら!

 

参考コラム

右矢印心理セラピー自己回帰セッション違いって?

わたしが心理セラピストとしてクライアントさんに託す想い

自己回帰セッションだとクライアントさんとの関わりが深くなります。そこでまだ若いクライアントさんで これから婚活へと向かう方へ、熱く選ぶポイントを強調してしまいました。どこに重きを置いて相手を見るか、その方のアピールする点、その方にとり譲れないモノは何かなど。

 

 


それはきっとわたしが自分の心を取り戻す前に、相手選びを間違えた結婚して失敗し苦しい想いをしたからだと思います。
夫婦2人で側に居ても異常な孤独感と焦燥感。全く心が通い合わない相手との生活の暗く冷たい暮らし。
あの想いを、同じ様な苦しみを、味わって欲しくない、と強く願うから。


それは虐待された人、
虐待が止められない人、
自分を見失って辛い人、
生きてるのが苦痛な人、
みんな、そうです。

 


世の中に人が溢れかえっているのに
まるで自分だけ忘れられているかのよう。
なんで生きてるのかわからない。
居ていいのか、わからない。
消えてしまいたい。
夜になってそんな想いが頭から離れなくなる。

 


わたしが機能不全家族で育ち、職場で上司との関係に苦しみ、共依存の結婚をし、仕事中毒と家庭内の全てに責任を負う無理を重ねた生活をした結果、最後は体調を崩しました。長い闘病生活で出来たことは実母の愚痴聞きと天井を見つめることでした。健全な人との会話も、自ら動ける肉体的な自由も、誰ともまともな会話が出来ない環境が2年近くありました。


最初は ただ声を出す、口を動かし言葉をスムーズに出すことが出来ませんでした。吃るような掠れた声、話しかけられても頭に浮かぶ言葉が出せない、その前に浮かばない、話すタイミングがズレる。歩くのも2メートルの距離を歩くことに二時間以上かかりました。


人はやらなければ、そんなことすら錆び付かせられることを、その時に身をもって知りました。過去営業マンとしてプレゼンの得意だった、わたしですら話すことが出来なくなるのです。


どんな得意でも、どんな苦手でも、
人は、やり続けなくては能力を失います。


しかしその体験を通して、わたしは改めて手を動かして枕元にある時計を取れること、起き上がれること、椅子に座ること、歩いてトイレに行けること、水を口から飲めること、息が出来ること、お風呂に入れること、全てが素晴らしいことだと心から感謝出来ました。そして子どもが乳飲み子の時、手を伸ばそうとしている、寝返りへのチャレンジ、立つことへの氣持ちに共感出来ました。

 


それでも夫との苦悩で出来た皺。失った髄液、毒親あるあるのブラジャーや生理用品を買ってもらえないことで垂れた胸、ずっと自分の悲鳴を押し殺す為に食いしばった為ぼろぼろになった歯は、それらは もう元には戻ることはありません。
でも皺は、これからは笑い皺に出来るでしょう。失ったものの中にでも何かしらの光は見いだせる筈です。

 

 

 

 


だから人はただ息をして喉が渇いたら飲める肉体の健康と、誰かと会話をし、自分の想いを誰かに伝え、人の氣持ちを聞き、
互いの感情を互いに共感し合い、
氣持ちの交流をする心の健康がないならば


どんなにお金があろうが、
どんなに名誉があろうが、
どんなに賞賛されようが、
どんなに美人(美男子)だろうが、
どんなに素晴らしい仕事を得ようが、


幸せだとは言えません。

いや、生きてる、とは言えないでしょう。


社会の中で、

あなたの居場所があり、
あなたのやるべき役割があり、
あなたを必要としてる人がいる。
あなたがそれをすることで喜ぶ人がいる。
そしてあなたも必要としてる人がいる。
支え合って、響きあう家族、友人、隣人、仲間たちが、いる。


それが、生きる、ということだから。

 


だから、生きて欲しいな、と思うのです。
あなたが必要とされる場所で。

あなたが安心出来る場所で。
あなたを活かして、働かせて、その活動を通して自分を人を幸せにして欲しい、と。


クライアントさんに。
このブログを読んでる、あなたに。

 

 

 


わたしが心理セラピストとして
先ずセッションしたのは娘でした。
わたしと同じ道を絶対に歩んで欲しくなかったから。


なので彼女は心を閉ざしたままの父親からの依存を綺麗に卒業しました。将来どんな伴侶を選ぶのか、日本人か異国の人か、年収職業はどんなか、それは全くわかりません。それはどんな人でも構わない。けれども必ず心が通いあう男性を選び尊重し合う夫婦となるでしょう。

 


ですから もし まだ未婚で、虐待された方、自分がアダルトチルドレン や依存症だと自覚があるならば積極的にセッションを受けて欲しい、そう思って若い方にも受けてもらいやすいようメニューを改変しました。


あなたが虐待や心の偏りから解き放たれて自分を取り戻したなら、選ぶ男性や女性は心のバランスが取れた人だからです。その夫婦が育む子どもは最初からちゃんとした成長できる。
それが社会の虐待の連鎖をとめることだから。


世の中から虐待がなくなることを心から願ってやみません。

 

 

 

 


そして いつか子どもが巣立ったら、わたしの夢は傾聴ボランティアに参加することです。
世の中にはお年寄りや閉じこもってしまい話す相手も居なくなってる人に、社会的に生き返って欲しいから。
それがどんなに辛いか知ってるから。

【再掲載】還りたい場所へ

幼い頃から、

ここは本当の家ではなく、
別に還る場所がある、
そう漠然と思ってきました。

何故かというと家で
自分の存在価値が見出せなかったから。

だから生家でも、
友人間でも、会社でも結婚しても
常に常に相手に奉仕し続けないと
居てはいけないのだと思って
自分をないがしろにして生きてきました。


走れなくなる、その日まで。


倒れて、ふと自分が
何を求めているかすら
わからないことに氣がつきました。


わたしの好きってなに?

わたしってなに?

わたしのしたいこと?


すべて答えられなかった。


それが進むと
朝起きること、
考えること、
生きることすらいやになりました。

好きな料理も作れなくなりました。


なんでこんなに
生きづらいらいのだろうか。
やってもやっても
報われないのはなぜだろうか。


そんな思いを胸に、
ある時は自分を責め、
ある時は人を羨み、

そうやって今まで
生きてきたことを
ぼんやりと思い出しました。


たぶん子ども がいなかったら
そのままだったかもしれません。
子ども の為に氣力を振り絞り、
生きなおす方法を探し始めました。


整体、東洋医学、心理学の本、
哲学、社会学、手あたり次第。
理屈はわかる、
わかるけど感情が動かない…


だったら、いっそ
カウンセラー養成講座に通おう。
わたしがわたしの
カウンセラーになればいい。
なぜか分かりませんが、通わなくてはいけない氣がしました。



講座の中でアダルトチルドレン
あったことの再確認。
 
その中のスケープゴート(※)として、
両親の癒されない心の傷を、
自分が受け止める役割を家庭内でしていたことに氣づきました。またケアワーカー(※)であったことも。

アダルトチルドレンの五つの役割の一つで、
スケープゴートは問題児として他者の罪をも背負う役割。
ケアワーカーはお世話係として自分以外の人のことばかりしてしまう。大抵は主とした役割とサブになる役割の混合のパターンが多い。


家長制度に縛られて、
長男長女だけを
溺愛した祖父母への
末っ子だった母の
苦しみ、憎しみ、悲しみ、愛。


戦前戦後の混乱期、世界の価値観の激変
病弱だった祖父が家族を守りきれず
病死した父の喪失感、苦しみ、愛。


そして
わたしが心からしたかった仕事、
わたしが居心地良いと感じる夫、
わたしが安定した愛着の関係を築くことの出来る友人たち
 
 
という
わたしが主体の考えではなく、

生家の家庭内での役割と同じ人生劇場になるため、自ら周りの配役をそろえ、
繰り返し同じ役割を演じていたことを。


だったら
わたしが望んでいるものって 
いったい何?

本当の自分の欲しているもの?
本来のわたしってどんな人…?



養成講座の前に受けたカウンセリング、
講座後に やはり 
この人だと受けたカウンセリング。
その後は自分で自分のカウンセリングをしながら その度に湧き上がる感情に対し、
わたしは ひたすら自分との対話を続けました。


そうしてワークと呼ばれる
潜在意識の書き換えを行っていた時に
これは自己啓発からカウンセリング、
スピリチャル等で行っている
潜在意識へのアプローチとは 
すなわち量子力学の現象なんだ、
と閃きました。
昔、遥か10代の頃の わたしを捉えて離さなかったこの番組、アインシュタインロマンが再び頭の中で鳴り響きだしました。


潜在意識アプローチを量子力学で説明して
体系的に教えてくれる人がいるはず!
そうして量子論から見た意識と身体の使い方を教授してくれる先生に出逢い、
その先生のセッションとコーチング養成講座の中で、本当の自分自身へ還る意味が理解出来た時、わたしがなぜその両親を選びその役割をしてきたかを腑に落とすことが出来ました。


存在否定、女性性の否定、
今もわたしを苦しめている両親の行い。


両親自身が抱え、消化しきれない
苦しみ、悲しみ、怒り、愛情も、
それは長きにわたった先祖からの
負の遺産であること。

彼らも同じように傷を負い、
泣いてきたこと。


そして彼らとわたしが違うのは、
それを終わらせることが力が
わたしにあるということ。

だからその親を選んだのだ、ということ。


つらい体験だったけれども
その体験すらにも意味があった、
ということにも。


そう、人生に無駄は何もないのです。


一瞬、一瞬、に意味がある。

そしてその積み重ねが
人を創るとするならば、
価値がない人間は  
一人もいないと
言えるのではないでしょうか。


そして わたしがずっと還りたかった場所も見つけました。
 
わたしが幼い頃から
探していた還りたい場所、 

それは”本当の自分自身”でした。



あなたの好きな物はなんですか

あなたがして、楽しいことはなんですか

あなたが本当に一緒に居たい人は、
誰ですか


そしてそう、
もしあなたが今まで
沢山傷ついてきたのなら
 
それは、

あなたが駄目だったからでもなく、

あなたが悪かったからでもなく、

あなたが弱かったからでもなく、


あなたが今ある物事を受け入れ、
認め、赦し、最後は 
全てを愛せる力を持っていたから。


だから周りの人間は、

あなたに甘えたのです。
あなたに頼ってきたのです。


だから傷つけた人たちよりも、
本当は、あなたはずっとずっと強い。



本来の自分に還ったあなたは、
きっと光り輝く。


どうぞ 
本当のあなたを取り戻し、

あなたしか歌えない歌を歌ってください。
あなたしか出来ない輝きを放って、
あなたの周りを照らしてください。



長く還らなかった分、
時に遠くて険しい道のりだけど、

でも二人で歩けば、
ひょっと近道が見つかるかもしれません。
そう二人で歩けば、
果てない道も短く感じるのだと思います。


しばらくわたしは、
自分だけ還れれば良いと
自分に嘘をついていました。

長い時間、堂々巡りをして
やっと

「違う、同じことで
苦しんでいる人と肩を並べ、
手を繋ぎ、共に歩いて行きたいんだ」

そう氣がついたら、
また、本当のわたしに
一歩近づきました。


だから、

還りましょう、一緒に、
還りましょう、和多志(わたし)に、
還りましょう、手を取り合い、
還りましょう、本来の自分に。

還りましょう、他でもない此の世に、
たった一人の尊いあなた、に。


今のあなたを否定する必要はないのです。
今までの努力や苦労や悲しみが無駄になる訳じゃない。
今までの過去の全てを受け入れ、
そして無視せざる得なかった
自分自身の声にこそ、耳を傾けて。
 

だからもう、
他人の荷物は背負わなくていいんです
あなたが あなたの為に生きていい。
あなたが あなたを大切にしていい。
 
そして命すべてを大切に。
己が命と同様に他の命も愛してください。


一緒に行きましょう。
最後まで 側にいますよ。

あなたがあなた自身の力で、
還り着く、その日まで。


レゾナント心理セラピスト  あらた
 


著作者:StephaniePetra